最近、日曜の浅草はものすごい人出です。スカイツリー効果ですね。吾妻橋の浅草側西詰めからは、アサヒビール本社の独特な建物とスカイツリーが並んで見えるので、カメラをじっくり構える人だらけで、歩くのも大変です。今も昔も、名所の吸引力は変わりません。浅草からスカイツリーの押上駅への動線ばかりでなく、近所の名所へ人波が流れてゆきます。
聖天様、待乳山聖天(まつちやましょうでん)にも、常連とは見えない、参詣者、観光客が多数訪れています。スカイツリー効果に加えて、パワースポットとして紹介されたせいとか…。
「どうなんですかね、このパワースポットブーム」という声もありますが、個人的には、神社仏閣に活気があるのは嬉しい限りです。
この待乳山聖天の正式名は待乳山本龍院といいますが、浅草寺の支院で、江戸時代は、正式には金龍山本龍院と号し、真土山聖天宮の名で知られていました。その頃から、商売繁盛、夫婦和合の御利益で信仰を集めていました。
真土山は東都随一の眺望の名所とされていました。
『江戸名所図会』(斎藤月岑他)は聖天宮をこう描写します。
「このところいまは形ばかりの丘陵なれど、東の方を眺望すれば、墨田川の流れは長堤に傍(そ)うて容々たり。近くは葛飾の村落、遠くは国府台の翠巒(すいらん)まで、ともに一望に入り、風色もっとも幽趣あり」
同書の風雅な絵に添えられた歌の作者は、江戸初期の歌学者で国学の先駆者でもあった戸田茂翠です。
「あはれとは夕越て行人も みよまつちの山に残すことの葉」
この歌は『万葉集』の歌を受けたものだそうです。
「亦打山(まつちやま)暮(ゆう)越え行きて廬前(いおさき)の
角太河原(すみだがわら)に独りかも寝ん」(弁基法師)
ただし、弁基法師はこの武蔵野の真土山を歌ったのではなく、大和紀伊の国境の真土山ではないか、と『江戸名所図会』にも書かれています。なんにせよ、真土山がこうした歌心を起こさせる名勝だったことは間違いありません。
そんな雅な世界から突然で恐縮ですが、この本歌を知って境内に無数にある巾着と二股大根が、「は、は~ん」と頷けるようになりました。
よくいわれることですが、この巾着と二股大根は男女の性器を表していて、男女和合の御利益があるとか。江戸時代には、聖天さまにお参りして、「独りかも寝ん」じゃ寂しいな、とふらふらと近くの吉原に向けてさまよい出す人が多かったのではないでしょうか。
艶っぽい話です(*゚ー゚*)。
●待乳山本龍院 地下鉄浅草線浅草駅より徒歩約10分